II.北朝鮮の過大な軍事力維持の実態

1.莫大な軍事費支出

ア.国家予算において軍事費が占める比重

 歴史的資料によれば、北朝鮮は、6.25戦争を前後して莫大な軍事費を支出し始めた。北朝鮮の決算報告を見れば、1953年の民族保衛費7,524.5万ウォン(予算支出比15.17%)、1954年6,452.7万ウォン(8.0%)の外に、いかなる説明もない金額が各期7,691.5万ウォンと3,407万ウォンが発見される。また、1955年の「朝鮮中央年鑑」には、1954年の予算支出中、民族保衛費と国家管理維持費を含めて、「その他」が2,963.3億であり、その後発表された国家管理費用の6,781,025万ウォンを除外すれば、2,285.2億が軍事費として支出された。

 1960年に入り、軍事費支出が急激に増えた。1962年のキューバ近海で起こった「キューバ危機」と1964年のベトナムの「カムラン湾事件」は、北朝鮮をして軍事費をさらに増やさせる契機となった。北朝鮮は、この時期に米国の軍事的脅威に対処するための措置として、国防における「自衛路線」を提起した。この時期の国防費予算支出を発表することはなかったが、PE、SC等他項目の数字を根拠に推算すると、約7.5%(1964年)から10%(1965年)、12.5%(1966年)に大きく増えたことが分かる。

 特に1966年以後から、軍事費支出が大幅に拡大し、この時期のソ連の修正主義、中国の大国主義等、国際共産主義陣営が破壊され、北朝鮮とこの国々の対立と葛藤が深刻化するや、金日成は、体制守護のためには、屈強な軍事力が切実に必要であると結論を持たされた。旧ソ連と東欧圏社会主義諸国が崩壊した翌年、金日成は、幹部達に「我々がソ連の政策に従わず、政治において自主、経済において自立、国防において自衛を行ったことが正しかった」と語った。

 金日成は、1966年、朝鮮労働党代表者会議を召集し、「現情勢と我が党の課業」という演説を行い、ここで経済建設、国防建設並進路線を提起した。金日成は、「今日、我々の革命闘争と建設事業において最も重要なことは、造成された情勢に合わせて社会主義建設の全般的事業を改編し、特に敵国の侵略策動に備えて、国防力をさらに強化できるように経済建設と国防建設を並進させることである」と語った。

 総合した資料によれば、この時期から1980年末まで本格的な軍備競争に突入し、毎年、国家予算の30〜40%に該当する約30〜40億ドルの軍事費を支出したものとされている。1971〜1976(又は77)年の間の6次7ヶ年計画期間中、北朝鮮の工業総生産増加率が最大を記録し、年平均16.3%と、1次7ヶ年計画機関の年平均12.8%より相当高かった。これは、軍事部門に対する投資も総体的に増えたことを意味する。北朝鮮の国防費は、1975年に絶対額数において、1967〜1971年の期間の基準を凌駕することとなった。軍事費支出が最も多い時期は、1970年末から1980年末までと見られる。北朝鮮は、この期間に飛行機、潜水艦、ミサイル生産体制を備えて、生産を始め、5個機械化軍団、2個砲兵軍団を新たに組織した。1990年初めに入り、困難な国家経済事情により、軍事費支出が多少減少したものと知られている。90年代には、主として既に作られた軍事力を維持する側面において、軍事費を支出している。

イ.外国援助の武力増強への過度な投入

 戦後(1954〜1955年)、ソ連は、10億ルーブル(2.5億ドル)の無償援助を提供した。中国は、8億元(3.25億ドル)(1954〜1957年)を提供したが、その援助物量の大部分が飛行機、戦車等の軍事装備だった。1958年、中国人民志願軍が北朝鮮から撤収し、その保有していた数十機のMiG-15、MiG-17、Il-28軽爆撃機、各種砲を始めとする武器と弾薬をそのまま無償で残し、手ぶらで帰った。1972年、ソ連の武器導入が難しくなり、北朝鮮と中国との関係の好転を景気に中国から軍事援助が約10年だけ再開された。中国の軍事援助は、1973〜1977年の期間に約3.6億ドルに達することとなった。

 北朝鮮の潜水艦生産基地である咸鏡南道新浦市にある「ポンデ・ボイラー工場」(秘密名)と平安北道バンヨン郡にある飛行機組立工場の既存の設備は、全て中国が無償援助したものである。中国の無償援助は、1994年まで継続した。中国国防部通信部は、1994年7月に、北朝鮮に「デジタル」電話網を支援し、この網の設置のため、7名の技術者が約1ヶ月間、平壌市大同江区域にある人民武力部所属紋繍招待所に滞留し、人民武力部庁舎に入って働いた。このとき、中国の技術者中、1名が自分達の作業姿をビデオ撮影したが、北朝鮮通信局保衛指導員(保衛軍官)にビデオ撮影機を奪う騒動が起きた。その後、人民武力部対外事業局は、平壌駐在中国武官を呼んで、強く抗議し、このビデオテープを押収した。

 北朝鮮は、1980年中葉に入り、ソ連との関係が好転したことを利用し、ソ連から最先端軍事科学技術流入と武装装備購入事業を積極的に推進した。北朝鮮は、ソ連軍偵察機の北朝鮮領空通過承認、ソ連軍の衛星通信結束所の平壌設置、「ラモナ」空軍偵察基地の設置等を許容する代わりにソ連からMiG-29戦闘機、Su-25戦闘爆撃機、電子戦武器等、現代的な武装装備を購入し、ソ連国防省の支援により平壌に軍事プログラムの専門家と電子戦の専門家を養成する「 美林大学」を立て、ソ連の軍種、兵科、専門兵の軍事大学と各級軍官学校に約600余名の軍事留学生を派遣した。

 1987年の1年間だけでも、ソ連から砲牽引車を800余台輸入し、第620訓練所に供給した。この車両に対する修理・整備のため、ソ連の技術者3名が北朝鮮に来て、620訓練所指揮部がある黄海北道谷山に長期間滞留した。MiG-29戦闘機20余機、Su-25戦闘爆撃機30余機と米軍と韓国軍の空軍飛行機に障害を置く自動障害機システムと米軍と韓国軍の空軍の地上飛行指揮体制(TAKAH体系−ロシア式名称)に障害を置く電子戦武器を輸入した。また、日本から「いすず」貨物車の車体、チェコから「タ トラ」貨物車を輸入し、ミサイルの台車として装備し、西ドイツを通して米国製ヘリ50余機を購入し、対戦車用戦闘ヘリに改造した。

2.軍需産業の現況

ア.軍需産業機構体制

 1960年代末に政務院に軍需工業を専担する第2機械工業部が新設された。朝鮮労働党中央委員会に、軍需工業担当秘書を置き、軍需産業を総括する。軍需生産が膨大になったことにより、1970年初めに、第2経済委員会を創設した。別名「第2政務院」とも呼ばれる。政務院と関係なく計画樹立、生産、供給の一元化体系が立てられ、政務院傘下の一般生産工場にまで「日用工場」、「日用職場」の名称で軍需生産施設を備えた。第2経済委員会は、1992年まで中央人民委員会所属だったが、1993年に国防委員会所属に変更された。第2経済委員会には、11個の総局、局、部署が存在する。
 

  1. 中央計画局:生産計画、資材計画と調達、予算編成、販売等、生産と供給に必要な全ての計画を管掌している。

  2. 第1総局:小銃と弾薬、機関銃等の個人火器とそれと関連するその他の軍事装備、60mm迫撃砲、7号発射管、手榴弾、地雷等の軽量武器の生産担当総局である。

  3. 第2総局:各種戦車、装甲車、水陸両用車等の生産担当局だが、金星トラクター工場等の民間工場に設置された日用品工場における部門品生産を掌握指導する。

  4. 第3総局:各種砲生産担当(直射砲、曲射砲、対空砲、ロケット砲、自走砲)局である。砲身及び機械装置は、溶銑機械総局において主として生産し、大安重機械工場等において協同生産する。走行装置は、金星トラクター工場、勝利自動車、316号工場等において生産する。照準及び誘導装置は、万景台宝石工場(1329号工場)、野砲は、成川53号工場において生産する。

  5. 第4総局:ロケット開発及び生産を担当する。ミサイル生産工場としては、「平壌テジ工場」(125号工場)、江界26号工場、平北大館301号工場(地対空)、万景台ヤクジョン機械工場(地対地)と分工場がある。

  6. 第5総局:化学兵器開発及び生産を指揮し、反化学装備生産も行う。

  7. 第6総局:各種戦闘艦艇と潜水艦等、海軍の装備生産を担当する。

  8. 第7総局:通信装備生産を担当するが、最近、バンヒョン航空機工場を人民武力部から移管され、飛行機生産を担当している。

  9. 第2自然科学院:武器研究・開発、規格制定に及ぶまでの生産準備を進行する。

  10. 対外経済総局:武器生産に必要な物資輸入とミサイルを始めとする武器輸出を担当しており、他国との武器合作生産を主管する。このため、「龍岳山貿易総会社」がある。

  11. 第2経済委員会資材商社:軍事生産に必要な資材需給及び各生産工場への調達を担当する。

イ.武装装備生産

 北朝鮮は、1945年に解放されるや、武力南侵を通して共産革命を遂行するための目標を提示し、軍需産業建設に優先的に力を入れた。解放後、最初の経済計画である2ヶ年計画(1949〜1950)の時期、最も大きな投資を行った部分が兵器産業であった。金日成は、自分と一緒に満州からパルチザン闘争を行い、自分の右腕と言える当時の北朝鮮臨時人民委員会副委員長であった金策に産業上の総責任を与えた。

 1947年9月、金日成は、機関短銃と拳銃を生産するように指示し、1948年12月12日には、機短弾銃(別名タッバル銃)に対する国家試験射撃行事が金日成の参加の下で盛大に挙行された。この行事には、金策(当時の副首相兼産業官)、崔庸健(民族保衛相)、姜健(総参謀長)、金一(民族保衛省副相兼文化訓練部長)が参加し、金日成は、彼らに機関短銃を与え、記念撮影を行った。引き続き、金日成は、迫撃砲と手榴弾、そして小銃弾と砲弾等を生産する新しい工場を建設するように指示し、この指示に従い、1949年2月、平壌市平川里にあった平川工場を「第65号工場」に拡張発展させた。

 1949年8月、元山造船所において最初の鉄製警備艇である「警備艦−41」号機を最初に進水させ、「労働号」と命名した。被吃痔機、南浦造船所において「警備艦−51」を製作し、進水した。前後には、新しい軍需工業の土台を構築し、小銃、機関短銃のみならず、戦車、大口径直射砲、曲射砲、ロケット砲等、現代的な武器生産ラインを構築した。

 1970年代末に至っては、戦車、砲等の重武器をアフリカ、中近東諸国に輸出する段階にまで達した。この時期、北朝鮮は、58年式自動小銃(AK47)、7.62mmRPD軽機関銃(分隊機関銃)、12.43mm重機関銃、40mm無反動砲、7号発射管(対戦車ロケット)、14.5mm4連装高射機関銃、120mm迫撃砲、130mm直射砲、「T-62」を模倣した「天馬号」戦車と共に、山岳地形における機動に便利な軽戦車等を生産し始めた。また、ソ連と中国からの援助を受けていたロケット砲モデルである107mm、230mm(12連装〜24連装)ロケット砲を大量生産した。

 1980年初めに入り、打撃力と火力、機動力が強力な武器生産に力を注いだ。240mm40連装ロケット砲、203mm「主体砲」、K-60水陸両用車、水陸両用戦車、BM型歩兵戦闘車を生産し、ミサイル艇、砲艇、警備艇、潜水艦生産を開始した。1980年中葉から、主として最先端の軍事科学技術を基礎としたミサイル、航空機生産に力を注いだ。このときから、M-2戦闘ヘリ生産を開始し、AN-2、YAK-15訓練機の本格的な組立生産に入った。AT-3対戦車、地対空携帯用ミサイル「火箭銃」、250〜300kmの射程距離を持ったスカッド−B型、C型地対地ミサイル生産を開始し、特攻隊浸透用小型潜水艦、海上上陸用空気方式艇(空気浮揚艇)生産に着手した。

 1980年末、1990年初めに入り、殺傷力と破壊力が強力な武器生産に力を入れ始めた。1991年に、1,000kmの射程距離の地対地ミサイル「ノドン−1号」生産と成功的試験発射を終え、実戦配置し、その後、継続して「ノドン−2号」と射程距離が5,000kmまで延びた「テポドン−1号」、「テポドン−2号」が開発中であると知られている。この外に、核兵器とレーザー、化学兵器研究、開発に国家の総力を傾けた。現在、北朝鮮住民の中には、北朝鮮が2〜3個の核弾頭と5,000t以上の毒ガスを貯蔵しているものと知られている。北朝鮮はまた、現代的な戦闘機である「MiG-29」、「Su-27」戦闘機の組立能力まで備えているものと知られている。

 総体的に見て、北朝鮮は、ソ連や中国や大国の支援なく、戦争に必要な全ての武器、戦闘技術機械を自国で研究、開発、生産し、第三国に輸出まで行う軍需大国に浮上したと見ることができる。

3.膨大な武力の維持

ア.正規武力

 正規武力と言えば、人民武力部所属の部隊と護衛司令部、平壌防御司令部、社会安全部所属の警備隊を通称していう。正規武力は、約120余万と推定される。算出基礎は、現在、人民武力部所属だけで中隊が1万余個あり、1個中隊平均90名と見ても、90万名である。この外に、各級軍事教育機関と独立小隊等の武力を加えれば、100万余名となる。護衛司令部の武力が6〜7万名、平壌防御司令部の武力が5〜6万名、社会安全部所属の警備隊が7〜8万名となる。

1)人民武力部直属部隊の現況

 人民武力部には、総参謀部所属の局、独立部署が50余個あり、その隷下に1個軍団より多くの武力を有している。重渡河旅団を始めとし、6個旅団と兵科、専門兵連隊と独立大隊がある。

 この外にも、平壌市衛戍警務部(連隊級)、武力部庁舎警務処(大隊級)、15狙撃術研究所(大隊級)、保衛司令部検閲隊(大隊級)、砲兵司令部所属の砲射撃場管理部隊(大隊級)等の非戦闘部隊がある。

2)基本戦闘部隊の現況

 人民武力部傘下の全部隊に対する作戦指揮権は、総参謀部作戦局が有している。作戦局長は、武力部副部長、副相参謀長、軍団長より職級が高く、党中央軍事委員とされている。戦闘武力としては、歩兵軍団12個、機械化軍団5個、砲兵軍団2個、戦車軍団1個、反航空軍団1個、特殊戦軍団1個と空軍、海軍武力がある。歩兵軍団でも、前線に配置されている1、2、4、5軍団の力量は、集団軍と等しく、兵力数が各々10余万名に達する。前線軍団の編制は、各軍団毎に歩兵師団4個、戦車旅団1個、ロケット砲旅団1個、砲兵旅団1個、狙撃旅団1個、軽歩兵旅団1個から成っており、この外に、軍団直属の徒歩偵察大隊、砲兵偵察大隊、電子戦大隊、化学大隊、工兵大隊等の兵科、専門兵部隊がある。

 海岸防御軍団である9軍団、7軍団、6軍団、3軍団と縦深防御軍団である8軍団、10軍団、11軍団、12軍団の力量は、各々3〜5万余名である。この軍団は、3〜4個の歩兵師団と軍団直属の兵科、専門兵部隊で組織されている。一部軍団には、軽歩兵旅団がある。機械化軍団としては、425訓練所、815訓練所、820訓練所、106訓練所、108訓練所がある。機械化軍団の力量は、4〜5万余名である。

 編制を見れば、機械化歩兵師団2個、戦車旅団1個、ロケット砲旅団1個、軽歩兵旅団1個、機械化渡河旅団1個と直属に兵科、専門兵大隊がある。砲兵軍団としては、砲兵指導局と620訓練所がある。砲兵指導局は、最高司令部の戦略予備隊とされており、ミサイル、ロケット砲、長距離野砲を始めとする火力が強力な砲で武装した11個の砲兵旅団がある。620訓練所は、前線支援砲兵軍団として、5〜6個の砲兵旅団で組織されているものと知られている。戦車軍団である戦車指導局も最高司令部の戦略予備隊として機動性が高い現代的な戦車で武装された戦車旅団と独立戦車大隊で編成されている。特殊戦軍団である教導指導局も、最高司令部の戦略予備隊とされており、その傘下に2個の狙撃旅団、3個の航空陸戦旅団、4個の軽歩兵旅団がある。

 反航空軍団としては、平壌高射砲兵司令部がある。1995年までは、4個の反航空旅団で旅団毎に9個の大隊で組織されていた。最近入手した資料によれば、旅団編制を師団に改編して、反航空力量を増強し、平壌反航空司令部に改称したという情報がある。空軍武力は、3個の空軍及び反航空戦団(軍団)司令部があり、その傘下に10余個の飛行師団、3個の反航空ミサイル旅団と探知機部隊がある。この外に、狙撃旅団が1個ある。

 海軍武力は、2個の艦隊(東海艦隊、西海艦隊)とその傘下に15個の海軍戦隊(師団級)があり、狙撃旅団2個がある。

3)護衛司令部・平壌地区防御司令部・警備隊の現況

 この部隊は、人民武力部と同じく、党中央軍事委員会と国防委員会の直属とされており、最高司令官の命令指示を直接受け、軍事作戦任務を遂行する。主として平壌の中心と外郭防御任務と金正日の警護業務を遂行する。護衛司令部には、4個旅団の戦闘武力と独立戦車大隊があり、平壌防御司令部(91訓練所)傘下には、4個の歩兵師団と直属兵科、専門兵部隊がある。警備隊は、社会安全部の所属で、7総局と8総局があり、その傘下に旅団がある。この旅団は、平時には、主として建設に動員されており、戦時には、正規部隊としての主要工場、企業所、発電所、鉄道、橋梁、トンネルのような国家施設に対する警備及び防御と治安任務を遂行している。

イ.非正規武力

 非正規武力としては、準軍事武力である工場教導隊と民防衛武力である労農赤衛隊と赤い青年近衛隊がある。

 工場教導隊は、平壌市を始めとする大都市と大規模工場地区に組織されており、平壌市内の教導隊は、平壌地域防御司令部に、他地域の教導隊は、人民武力部傘下の該当地域軍団の管轄下にある。工場教導隊は、戦争勃発時、即刻動員され、海岸、後方防御及び予備隊として投入される。

 労農赤衛隊は、職場及び行政単位別に編成され、労農赤衛隊は、工場教導隊から除外される人員で組織される。主として公共機関(事務機関)、農村地域、中小企業の分布地域で組織される。労農赤衛隊隊長は、該当地域の労働党責任秘書がなり、参謀長は、労働党民防衛部長、副部隊長は、安全部長がなる。労農赤衛隊は、安全部との徹底した協同作戦下に地域防御、治安業務を遂行する。

 この外に、民防衛武力として赤い青年近衛隊がある。赤い青年近衛隊には、高等中学校5〜6学年の男女学生が網羅される。彼らは、5〜6学年に約15日間、軍事訓練を受け、これを通して小銃の扱い方と銃の使い方を習う。学校を卒業するとき、軍隊に入隊できない女学生が選抜され、1年間、平壌高射砲兵司令部所属の反航空部隊で14.5mm4連装高射機関銃中隊に勤務する。この期間は、現役軍隊と全く同じ生活を行う。

 大学生の場合、大学期間に6ヶ月間の軍事訓練と戦闘勤務を遂行しなければならない。平壌市の大学生は、6ヶ月間、平壌高射砲兵司令部所属の反航空部隊に編入され、57mm高射砲(反航空砲)中隊で軍事訓練を受け、戦闘勤務を遂行する。このときには、一般的に大学生教導訓練期間と呼ばれる。このような準軍事武力、民間武力の数は、約600万名に達する。

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最終更新日:2003/03/18

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